芦塚音楽研究所 設立の由来と教育理念
 芦塚先生が芦塚音楽研究所附属音楽教室の創設に至ったのは、先生が書いたある教育論文がきっかけでした。

その論文は、芦塚先生が教育関係の大学で教えていたときに発表したものでした。
芦塚先生自身はその論文のことは、すっかり忘れていました。なぜなら、まだその当時は芦塚先生自身の興味は作曲にあって、先生自身が実際に教育者の養成や後進の指導、教育にあたるということには全く興味を持っていなかったのです。
では、何故この時期にこの論文が書かれたのでしょうか?それは、芦塚先生が大学で指導したクラスの生徒達が、小、中学校で教員として活動するようになった頃の事です。芦塚先生は、教育の現場に立つようになったばかりの卒業生たちに、大学のアフターケアとして、模擬授業をしたり、教育のアドバイスをしていました。その教育論文はそのときに日本でおこなわれている教育に対する問題提起として書かれたのです。


そういったこともあり、実際に教育現場で働いている芦塚先生の生徒と直接触れ合うことで、実際の小、中学校の実情を垣間見る機会も多かったわけです。その当時(多分朝日新聞であったと思いますが)「学校教育では今」とか言うタイトルで、学校教育の問題点が連載されていましたが、現実に教育の現場に携わる人たちが遭遇する教育の崩壊と呼べる現状は、そんな生易しいものではありませんでした。そのギャップは既に教員をしている人達にとっては、笑止に思われるほど奇麗事では合ったのですが、(教員の意識の乱れや、生徒を取り巻く環境の問題などのお話です。)新聞などの公共性の高いメディアでは一般社会に提示出来うるわずかの程度のお話であったとしても、充分に社会問題になって大騒ぎされたものです。
しかし、実際の話は本当の仲間内でしかお話できない内容のもので、人にはとても伝えられるものではありませんでした。そういった現状を見るにつけて、「学校教育は大変なことになるであろう。」という事を芦塚先生が感じ取られて、小冊子にまとめて大学の研究論文として発表しました。

その頃、ちょうど文部省関係の仕事をしていた芦塚先生の友人が、偶然その研究論文を見つけて興味を持ちました。
というのは、その論文中には、当時、そろそろ問題化し始めていた教育の問題点をズバリ指摘し、そして、それらの問題を解決する教育のノウハウが語られていたからです。
また、今でこそ当たり前に使われている「家庭内暴力」「校内暴力」「心身症」といった、教育問題に関する言葉が、全くの偶然ですが、その論文内ですでに使われ、5〜10年後には必ずそういった教育の崩壊が社会問題になる、という予言が論じられていたのです。



先ほども書いたように、当時の芦塚先生は、先生自ら、後進の指導をする事については全く興味を持っていませんでした。友人に教室の開設を迫られたときに、作曲をするという事は実際には自分と向きあうことであり、「音楽を極める事」と、「教育」とは絶対に相容れないものだ。音楽を極める事はとりもなおさず人間の業と向き合うこと、教育のように全人間的(人格的)な物を求められても、困る。と、断固固辞しました。しかし、その時、芦塚先生のご友人の方は「今の日本では、本当に優秀な人材は、企業に取られてしまっている。大学ですら、教育の現場とは関係のない世界になってる。何かが出来る本当に優れた人が、子供の教育の現場に下りていかなければならない。」「誰かがやらなければ!!」「教育こそ男の仕事だ!!」と、芦塚先生に熱く訴えかけたのでした。

しかもその芦塚先生の友人は、「この論文に書かれている優れた教育理論が、芦塚先生個人の人間性によってしか実行できないのであれば、それは価値がない。
メトードとして誰もが同じように指導ができなければ「机上の空論だ」といわれてしまうだろう」、とも言われました。

実は誰もができる理想の教育というものは、たくさんの学者の方たちが論文として公開しています。しかしその殆んどは実際の教育現場で子供達を前にすると何の役にもたちません。
今日でも歴史的に偉大な教育論文であると認められているルソーのような学者ですら、自分の子供の教育には見事に失敗してしまいますし、あえてそんな昔の話を持ち出さなくとも身近な例として、子供の教育に関してある有名なメトードにはまり込んだお母様の例をあげることが出来ます。
子供の教育にとても熱心なそのお母様は、子育ての拠所として当時から現在に於いても、とても有名であったある教育(子育て)のメトードに熱中するようになりました。とても熱心にその教室のインストラクターの方々と一緒に勉強し研究して、自分の子供達の教育に実践しました。ところが半月も経たない内に自分の子供の状態に異常(チックが出たり、突然叫びだしたりなど)があらわれたのです。びっくりしたお母様は、インストラクターの先輩に相談をしました。先輩はもっとびっくりした顔をして「あなた、ひょっとしてマニュアル通りに子供に教育したんじゃない?あれはあくまで理論だから、そのマニュアルで実際に教育したんじゃだめなんだよ。」彼女のその答えを聞いて、今まで熱中していたそのメトードに対する情熱が一気に冷めるのを感じたそうです。

現実的に(夢の世界や机上の空論ではなく)その理論が理論でなく証明できるか?
それが大事なのです。


それには
「そのメトードを使って現実に一般の生徒を教えている所があって、その論文通りの成果を上げている、そういったことを見せて欲しい。」という希望が教育関係者から出て来るのは当然の事でしょう。


そういった教育関係者達のたっての希望で、芦塚先生個人の私財を投じて芦塚メトードの実践の場として作られたのが何と、現在の附属音楽教室なのです。


ですから、芦塚音楽研究所附属音楽教室は、「音楽
だけを教える教室」を目的として作くられたものではないのです。
とどのつまりは(言い方を変えると)、別に国語や算数の塾でも、何の教室でも良かったのです。なぜ「芦塚音楽教室」ではなく、「芦塚音楽研究所」の「
附属音楽教室」なのか・・・・?
それは、そういった教室が出来るまでの経緯に由来しているのです。

おしむらくは、どんなにすばらしい教育をしたとしても、社会の体制や考え方自体が変わらない限り、教育の根本を修正することは出来ないということです。
教室を作ってから20年も経った頃、文部省もようやく教育問題に目をむけ、教育体制の改革を始めましたが、週休二日にするなどの、ゆとり教育を試みても、「学力が落ちる。」「行きたい学校に入学できない。」ということになり、結局は家族との絆をふかめるための休日も、子供たちは塾に通わざるをえない状況です。一度社会に浸透してしまった「勉強は競争である」といった姿勢は、そう簡単に変えることはできないようです。

芦塚先生は、「学校とは、ライフワークを見つけるベースづくりをするべきところ」と考えます。一芸に秀でることができれば、社会に出たときにすばらしい仕事が出来る・・・言い換えれば社会の役に立つ人間(逆に言えば社会から必要とされる人間)となって、それが本人にとっての価値観(人生としての存在意義)となって自信や生きる支えになっていくということです。

ところが、現在の学校教育では、全てのことが平均的にできることが優先されてしまいます。子供がせっかく何か一つのことに打ち込みたい(専念したい)と思っても、現在の教育体制はそれを頭から否定し、つぶしにかかります。

また、現在の教育問題には、年齢のちがう子供どうしの
人間的な縦のつながりがなくなってしまったばかりではなく、コンピュータのチャットなどでバーチャルな人間関係の世界に依存してしまうという問題もプラスαされ、深刻化しています。


テレビゲームがはやりだした頃、芦塚先生はゲームが、子供の知的発達を阻害する事を心配しておられました。
論文を立ち上げた当時はまだ一般には知られていなかったのですが、コンピューター先進国のアメリカでは早くから、ゲームのやりすぎで、精神を完全に破壊してしまう子供の例が数多く見られたからです。
「ゲーム脳」という恐ろしい精神病(ゲームをしている時の、人間の脳は殆んどの活動を停止して、ロボットのように、反応だけをしています。)を引き合いに出さなくとも、インターネット(チャット)の影響によって引き起こされた、長崎の少女の事件などの実際の例を見ることが出来ます。心の触れ合いを手と手、顔と顔で無くコンピューターや携帯を媒介しないと、心と心を通じ合わせることが出来ないのです。しかし、それは本当の心ではなく、あくまで
バーチャルな架空の世界の人格
に過ぎないのです。芦塚音楽研研究所の附属音楽教室では、教室の創設時からただ楽器の演奏の手ほどきをするだけではなく、そういった子供の精神的な教育も同時に行っています。


例えば、毎週日曜日におこなわれている弦楽オーケストラや室内楽の練習では、お茶菓子タイムや公園で年齢のちがう子供同士が遊ぶ時間を設け、皆でいっしょに遊べるようにリーダーがとりまとめをします。発表会では5年生以上の生徒は「子供スタッフ」として発表会の進行にあたり、トップのお兄さんお姉さんがリーダーとなって指示を出します。そういったことで、自主性や責任感、思いやりの心が育ちます。


リーダーを育てる事は思いのほか難しいことです。たとえば公園で遊ぶときのリーダーでも、小さい子や体の弱い子、年齢の差を考慮して皆が一緒に遊べるようにしなければなりません。また、遊んでいるときでも、グループから落ちこぼれた子はいないか、常に気配りが必要です。
今、現在の学校制度の中ではでは、リーダーは作ってはいけません。もっとおかしい事は、男女が全く同じ教育をなされなければならないという事です。これは性差の問題です。「男女の差別をする事は男尊女卑の意味に捉えられ、教育の平等の理念に反する」という考え方です。教育は全ての子に等しく同じでなければならないからです。しかし、これは差別と同時に貴賤をあらわすという考え方から来るのです。その子、その子の特性や男女のそれぞれの良さを生かすという考え方ではありません。

またいじめが何故治まらないかという問題も、学校などの教育の現場では「犯人捜し」は、してはいけない、という原則から来ています。

子供が出来心で、仮に万引きをしたとしても、犯人を探すことは禁止されています。学校は裁判所ではないからです。
仮に誰かが「言いだしっぺ」になっていじめを始めたとしても、そしてそれが原因となって自殺などの問題が起こったとしても、誰がいじめたのかなどと、子供の犯人捜しをしてはいけないのです。それは、根本にいじめの発起人(言いだしっぺ)が犯人である、という前提に立っているからなのです。
芦塚先生はよく言います。「小学生の低学年で、万引きをしようが、いじめをしようがたいした事ではない。」のです。逆に、悪い事、してはいけないことをした時こそ、それが教育のチャンスとなります。
そこで(そのタイミングを捉えて、叱らないで)子供と向き合って噛んで含めるように諭し教えるのです。上からではなく対等に友人として話せば、結構子供なりに理解できますよ。
そこで本当に理解をさせる事が出来たら、上級生になったり、上の学校(中学校や高校)に行っても同じ事は二度としません。それを、教育といいます。先ほど書いた、教え、育むということです。

しかし、この「学校は裁判所ではない。」ということはたぶんに一般には誤解されて、捉えられています。
犯人を捜し出して糾弾すること、と捕らえられてしまっているのです。
もちろんそういったことは絶対にやってはいけません。人の一生をだいなしにしてしまう結果となります。
しかし、教育の現場では、問題を起こした児童を
「教え育む」事も、とても大切な事なのです。
叱るのではなく、何も知らなければ何も出来ない、間違えは「正邪が理解できない」から起こるのだという原則を、指導者が良く理解をしておかなければなりません。
そのためには、誰がいじめたかを教育の現場に立つものは正しく把握ができていなければ、当然その子供の指導は出来ません。それを、間違えた理由で放置してしまうから、子供達は「それは、しても怒られない事なのだ。という事はやってもよいこと・・・悪い事ではないのだ。」という事になって、状況がだんだんエスカレートしていくのです。

それに対して、「いじめられる側にも責任がある。」という意見を近頃良く耳にします。私は一概にそれを否定しません。いじめられてもそれを気にしなければ良いのです。


私達の教室でもいじめや校内暴力の話は良く聞きますし、直接の被害にあった生徒達の例も幾例も挙げることが出来ます。但し、そのお話は教育論文に分類されますのでここでは軽く触れるだけにしておきます。
私達の教室の生徒で中学生になった子のクラスのお友達がシカトにあいました。(クラスの全員の子供達が口をきかなくなったのです。)それを可哀想に思った彼女は、一人だけ普通にそのお友達とおしゃべりをしました。そうしたら、次の日には彼女がシカトを受けてしまったのです。そして、助けてあげたお友達の女の子もシカトをするクラス全員の仲間に加わっていました。教室で相談を受けた先生は「あなたの居場所はここでしょう?音楽を勉強している教室の仲間は、一生の仲間だよね。じゃあ、中学のお友達なんて学年が変われば同じクラスじゃなくなるのだから、気にしなければいいんじゃないの?学校が終わったら教室にいらっしゃい。小さい子供の面倒を見てよ!」
彼女は授業が終わるとすぐに教室に駆けつけて、勉強したり先生のアシスタントのように小さい生徒の面倒を見たりしました。
クラスの子供達は、いじめても全然気にしていない彼女にすっかり飽きてしまって、いじめのターゲットを他の子に移してしまいました。シカトは結局、1月も持たなかったのです。
(そういったことを書くと、「だから、いじめられても気にしなければ、結局みんな飽きてしまって、いじめなんて終わってしまうんだよ。」とかいう風に解釈されてしまいます。そこがこういった文章を書く上での難しさです。
つまり、私達の生徒の場合には、(この例では)いじめから逃げて気にしなかったわけではありません。本当に、(音楽の先生になりたかったから)なぜ学校のお友達が自分が助けてあげたのに、自分をいじめる側に豹変したのか、なんてどうでも良かったのです。それよりも、私達の教室で小さい子供やお友達と一緒に勉強する事のほうが行く倍も楽しかったに過ぎないのです。
だから、学校の生徒達は虐め甲斐がなかったのです。いくらいじめてもいじめた相手が何も興味がなければつまんないもんね。
ですから、もっと深刻なケースも教室では扱ったことがあります。しかしそういった話は、教育論文のページを参考にされてください。

話を元に戻して、シカトは周りの反応を見て楽しむゲームなのです。本人や先生や、親などが出てきて、
事が大仰になればなるほど面白くなるというエンドレスのゲームです。そして最後に、自殺や少年院送致などで終止します。


室内楽やオケ練習などの練習を一緒に勉強することを通じて、生涯の音楽友達ができたり、弟分や兄貴分ができたり・・・・・。そういった仲間達を作っていくという事が本来の芦塚メトードの目的なのです。
そう言った教育システムの中に芦塚先生の音楽技術や心理学のメトードが、更に載っているという、二重、三重にも及ぶ複雑極まりないメトードでこれが、逆に言うと教室を理解してもらう上でのネックになっていることは確かであります。

音楽教室という場所で、音楽教育のみならず、子供の教育自体も行われている、非常にめずらしい教室なのです。


昔から色々な、子供たちの団体活動を目的にした教育の場はありますが、そこで何か一つの技術を身につけながらライフワークをみつけていき、なお且つ団体活動などの教育もなされているという教育システムはおそらく私どもの芦塚メトードしかないと自負しております。
教室の卒業生としては国の内外でプロとして演奏活動を続けている人達や、就職し結婚してからも、音楽を続けている人達がたくさんいます。教室を創って30年ともなると、第二世代もちらほらいます。芦塚先生の立場から言うと第二世代とは、孫の世代になってしまうので、ショックなのだそうです。
音楽では、「芸術を極める」という面をもちながら、同時に「アンサンブル」という「調和」も学ぶことができます。各自が自分の責任を果たす中での人との調和という、他の勉強では得ることの無い利点があるのです。そしてその調和の中で一人一人の持ち味をひきのばし、個性を育てていくことができます。まさに教育の理想の形がここにあるのです。

芦塚メトードでは、先生になると必ず言われる事があります。それは、「生徒を上手にする必要は全くない。ただ、教室に楽しく通ってくるようにすればいいのだ。」という事です。
        
そして「ただ楽しく通っていた」生徒たちが、現在留学してヨーロッパで演奏活動をしたり、音楽大学に入学したり、音楽教育の現場で活躍したり、コンクールで賞をとったりしている・・・という事が、まぎれもない芦塚メトードのすばらしさの証であると言えるのではないでしょうか?

                      
芦塚陽二先生
(行きつけの喫茶店にて)