芦塚先生からの発表会への総括
日本には「可愛い子供には、旅をさせろ!」という諺がありますが、音楽の場合の旅とは、留学ではなく、外で演奏をする・・・・「対外出演をする」・・という事ではないでしょうかね?!
実際に、これまでも指導してきた経験でも、対外出演に連れて行った生徒の演奏は、ただ、音楽をレッスンとして受けている生徒とは、somethingが違います。

教室でも、なるべく子供達が外での演奏が出来るように、色々とチャンスを探しているのですが、そのネックとなる事は二つあります。その一つは、対外出演をする場合には、主催者側が子供の演奏を期待するのではなく、例え子供であったとしても、大人と対等のプロとしての技術と意識を要求されて来るということなのです。つまり、演奏者が子供という事に対する妥協やいたわりはないのですよ。
もう一つのネックも、出演する子供や親の側の対外出演に対する意識です。
親は、ついつい「子供だから・・・」と、甘く思いがちですが、聴いているお客さん達は、家族でもなんでもないので、その甘えは通用しません。
主催者側としても、もし、生徒側のそういった意識や技術が足りなければ、別のもっと意識のあるグループにオーダを出せば良いだけなのですから、何も私達の教室の生徒である理由は、どこにもないのですよ。
社会で納入された商品が気に食わなければ、別のメーカーの製品にすればよいだけなのですからね。
それと同じなのですよ。
そういう条件を提示した上で、過去の単発の対外出演ではなく、八千代では定期的に演奏会を続けて見ました。
そこで、上記の「可愛い子には・・」のお話につながります。
兎に角、今回の発表会は、千代効果とでもいうのでしょうか、演奏をする一人一人の音楽の技術がとても向上して素晴らしいテクニックがひとりひとりの身に付いて来たのでは・・と感心して、います。

勿論、八千代組の音楽の表現、演奏の技術力のlevelupは当然の事ですが、八千代にまだ参加出来なかった後輩達の音楽の表現の技術も、驚く程上がって、とても嬉しく、感心しています。
それを八千代効果と言っています。

・・・・ここまでは、芦塚先生の「超、絶賛の褒め言葉」 です。
しかし、当然、何時ものように、次は、アハッ!・・・・きつ〜〜い、お説教が始まります。
そりゃ、まあ、しかたないわね・・!??

今回の発表会に関して、音楽技術的には、一人一人の音楽の演奏は、とても素晴らしいのですが、それで「You Tubeにupしてあげようかな??」と思って、よくよく演奏を聞いてみると、それぞれの人達が、「え!?」っと思う程、「ポニョミスやポロミスの連発」で、技術は上がったのに、その技術levelに対応出来るだけの意識がなく、思わぬ「ポロポロ、ポニョポニョのミスの連発の演奏」で、今回の発表会に、タイトルを付けるとすると 「ポロポロ、ポニョポニョの発表会」と呼ぶ事が出来ます・・・・よね!??

ポロミスなら、分かるけれど、「ポニョミス」って何だ??という人のために、説明をしておきます。
「ポニョミス」というのは、勿論、教室(芦塚先生)の造語で、意識がホニョり、ポニョりして、ホンワカ、ホンワカとなっている事で、引き起こされるミスの事です。

ポロミスは、それに対して、何とか一生懸命に、頑張って弾いているのですが、スコン!と突然、意識が途絶えてしまうミスの事を言います。
という事で、「ポロミス」は、本人が「あそこの所は上手く弾けるかなあ??」とか、「やっと、もうすぐ終わりだ!!」とか、演奏とは、別の事を考えた途端に、ポロっと間違えてしまうミスで、そこは「どこをミスるか?」という事や、「どういう風にミスるか?」も、予め分かるのですよ。
それに対して、ポニョミスは、本人も「ちゃんと一生懸命に練習もした!」と思い込んでいるし、・・・「何故、弾けなかったのか分からない?!」という事になって、ミスの箇所は分かってもその原因は分からないので、そこを治すのは難しいのです。
ミスをした所を一生懸命に直しても、今度は次の別の場所でまた別のミスを連発して、全体のミスの総数は変わらないのです。
また、ポニョミスは、ピアノの演奏ではケアレスミス、violin等の弦楽器では、音(pitch)のぶら下がりという症状で現れます。「あと少しの、チョッと低め!!」の音がポニョミスの結果です。

またポニョミスは「練習を、した!・・しなかった!」に関係なく、本人の意識が音楽に戻ってくれば、その日の内にでも、治ってしまいます。練習やローテーションとは全く、無関係に、ポニョミスは治ってしまうのです。
もっとも、その逆もよくあるけれどね。

折角、私としては、八千代の練習の積み重ね効果で、結構、良い技術の水準(Niveauというのですよ)で演奏しているのに、意識が付いて来ていないというのは、とても勿体無い事で、ポカミスを、(それも一回ではなく、数回も・・・)連発しているのでは、演奏の出来としては、とても合格とは言えませんよね。

さて、君はポカミスのポロミスだったのかな?
・・・それとも、気持ちがついて来ない・・・・、テンションが上がらない・・・・、というポニョミスだったのかな?
そこの所を反省してみてくださいね。

Pianoconcerto


七 星 ひかり Pf. (小4) キルヘンソナタ K.336 ハ長調 ・・・・・・・・・・・・・・モーツァルト 作曲
                                               芦塚陽二  カデンツ作曲
教会ソナタという名称について

このkirchensonta(教会ソナタ)というタイトルは、とてもとても、問題があります。
本来のKirchensonata(教会ソナタ)という名前は、バロック時代の音楽を代表する音楽形式の名前です。
今日、我々がソナタやソナチネ、ワルツ等という曲(形式を伴った・・)と同じ名前なのです。

そもそも、baroque時代の代表的な音楽形式には、Kirchensonata(教会ソナタ)と呼ばれる音楽の形式と、Kammersonata(室内ソナタ)と呼ばれる音楽の形式の二つがありました。

sonate(ソナタ)とは言っても、今日私達がよく耳にする、ソナタ形式で作曲されたソナタという意味ではなく、組曲の統括的な形式を言いました。
古式懐しいこの形式は、教会ソナタの場合には、各楽章が、それぞれに緩、急、緩、急の四楽章からなる場合が多く、序曲とフーガのような対位法を駆使した荘厳な重厚な形式で作曲されました。

それに対して、kammersonata(室内ソナタ)は、四楽章から5、6楽章に至る、急、緩、急、緩のテンポの配置で作曲されていて、ちょうどkirchensontaとは各楽章の速度の配置が逆さまの設定で、曲も、アルマンド(比較的に穏やかなドイツを起源にする舞曲)やクーラント(軽快なフランスの舞曲)その次にサラバンド(非常にゆっくりで2拍目に特徴のあるスペインの舞曲)最後にジーグ(早くって、飛び跳ねるように快活な8分の6拍子や8分の12拍子の曲)のような当時の舞曲の形式で作られていました。

kirchensontaやkammersonataは、triosonate(トリオ・ソナタ)という演奏の形態で演奏されていました。

triosonateという演奏形態は、trioとは言っても、後の時代のように、3人で演奏するという意味ではなく、
二本のmelodie楽器と、低音の伴奏を受け持つチェロ(若しくはチェロとよく似たガンバという楽器)で、演奏されました。これで、正真正銘のtrioなのですが、実際には、低音を演奏するチェロ(若しくはガンバ)の伴奏のmelodieの上にCembalo(チェンバロ)やLaute(luteリュート・ギターのような楽器)の奏者が、左手のmelodieはチェロのmelodieをそのままなぞって、右手は、チェロのmelodieの上に書かれた数字で表された和音記号を、jazzのコードの演奏のように、その場で即興をして演奏しました。
左手のチェロのパートは、melodieの楽器に対して、休みなく、伴奏を弾き続けますので、伴奏をするチェロのパートの事を、basso continuo(所謂、日本語に訳すと、通奏低音=常時演奏される低音の楽器)と言います。
それと同時に、チェロと一緒に和音を充填するCembaloのpartも、basso continuoというセットの名称で言い表します。
score上の楽譜では、3っつのpartしか、書かれてはいないので、楽譜だけを見ると、正真正銘の、trioなのです。
こういったtriosonateと呼ばれる音楽の形式は、baroque時代を代表する演奏形態でした。



しかしながら、Mozartの全、17曲に及ぶ教会ソナタは、そういったバロック時代の音楽形式を意味するkirchensonta(教会ソナタ)という意味は全くありません。
寧ろ、単一、楽章でありますし、単に、教会で演奏される(オルガンを含んだ)作品・・・という意味でしかありません。
Mozartの幼少時代、所謂、二十歳前のザルツブルク時代に書かれた曲で、編曲も多く、幼年時代のMozartの習作である傾向も見受けられます。
オルガンの曲というのは、大変珍しいのですが、Mozartは、ザルツブルク時代には、Mozartのお父さんと一緒に宮廷だけではなく、教会でも働いていたからなのです。


Vivaldiのcelloconcertoについて

ヴィヴァルディの手によるチェロコンチェルトの作品数は、非常に多いのですが、ただ、楽器的な特性に因るのか、それともある程度年齢が進まないと演奏出来ない楽器だったからか(注:教室で使用している分数のチェロを含む弦楽器は、日本の鈴木楽器(鈴木メトードの鈴木ではありません。もっとも、近親縁者ではあるそうですが・・・)のは)の独壇場で、ヨーロッパの弦楽器製作者による一点物の分数楽器は時々ありますが、一般的に手に入るものではないのです。基本的には世界中の人達が鈴木ヴァイオリンの分数の楽器を使用しています。)、その理由は定かではないのですが、チェロコンチェルトの曲のイメージはadultな曲が殆どで、技術的には兎も角としても、音楽の表現という意味では、子供達にとっては、超!、が付く程難しい曲になります。

ヴィヴァルディのチェロ・コンチェルトの曲は、実は肩紐を伴った5弦のヴィオロンチェロ・スパッラのために作曲された可能性が高い、と言われています。
左の写真の楽器です。
ヴィオロンチェロ・スパッラとは、現代では殆ど見ることが出来ませんので、写真を掲載しておきました。

そういった、楽器的な特性もあって、ヴィヴァルディのチェロ・コンチェルトをチェロで演奏するのは、結構難しいものがあります。
当時の協奏曲は、今日ではガンバかチェロかの、どちらかで演奏されますが、バロック時代は、チェロ」協奏曲に限らず、先程の、triosonateでも、音域さえ合えば、他の楽器で演奏する事は、日常的でありました。

ちなみに、かの有名なBachの無伴奏チェロ組曲もこの楽器のために書かれた、と言われています。






朴   知 恩 Vc. (小5) チェロコンチェルト ロ短調 T楽章 ・・・・・・・・・・・・・・ヴィヴァルディ作曲
                                           芦塚陽二 basso continuo作曲
                 指  揮 芦塚 陽二先生
                 Vc.    鈴 木 杏 梨 (Basso Continuo)
                 Cemb.  遠 藤 美 帆 (Basso Continuo)

芦塚陽二basso continuo作曲、と書かれていますが、本来は、リコルディ出版社等の楽譜(score、日本語では総譜)には、サービスでbasso continuo(所謂、通奏低音)のCembaloの譜面が校訂者の手により、元々は書かれているのです。
しかし、それはあくまで参考であり、アマチュアの人達を対象にしたものなので、プロの演奏団体が楽譜に書かれたCembalo譜をそのまま弾くことは、まずありません。
Cembalo奏者でもないし、ピアニストでもない学者先生が書くCembalo譜なので、とても不自然に難しいし、演奏効果もありません。
ましてや、バロック特有の即興演奏的なフレーズを書く事等は絶対に!!!、・・・と言っていいほどないのです。

という事で、教室では、この曲のように、基本的には、私が、子供達のためにbasso continuoの譜面を書いていますが、上級生は、自分で作る勉強をします。楽譜を書かせないで、その場で演奏させる事もよくあります。
教室の無茶振りです。

ある程度の和声の知識があれば、ピアノの生徒達は自分で作曲出来るようになります。
それが出来て初めてCembalo奏者と言えるからです。(もっとも、日本の音楽大学では、Cembalo科の生徒でも、そういった通奏低音を作曲出来る生徒はいません。何故なら、指導するCembalo科の先生が通奏低音や即興(ornamentと言います。)を作る事が出来ないからです。指導者が出来なければ、生徒が出来る分けはないからね。)
ハッ、ハッ、ハッ!



清 水 千 聖 Vc. (中2) チェロコンチェルト ロ短調 U楽章 ・・・・・・・・・・・・・・・・ヴィヴァルディ作曲
                 Vc.     山 本 珠 加 (Basso Continuo)
                 Cemb.  遠 藤 美 帆 (Basso Continuo)
本来的には、チェロsoloのmelisma(日本流に言うと、コブシかな??)のpassage(パセージ)は、即興で弾かれるべき、筋合いのものです。日本人の演奏家のように、楽譜通りに正確なrhythm(リズム)で演奏すると、珍妙になってしまいます。(自然さがなくなる・・という意味です。)
この曲の即興の部分は作曲者の手によって、予め書かれてしまっています。
書かれたものを、あたかも、気分に乗って即興で演奏しているように弾くのは、結構難しいようですね。
アハッ!



中 島 緋 依 Vc. (小5) チェロコンチェルト ロ短調 V楽章 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ヴィヴァルディ作曲
                                            芦塚陽二 basso continuo作曲
                指  揮  芦塚 陽二先生
                 Vc.    鈴 木 杏 梨 (Basso Continuo) Cemb.
                       遠 藤 美 帆 (Basso Continuo)

ヴィヴァルディという作曲家は、・・・・というか、バロック音楽そのものが、19世紀から20世紀の初頭にかけて、音楽の歴史の中から、完全に埋没してしまいました。

BachとHandelの極僅かの作品が忘却の淵に、僅か髪の毛一本で踏み留まっていました。
それを、サント・セチーリア音楽院を卒業したばかりのフェリックス アーヨー率いる所のイタリアのイムジチ合奏団が、1952年に、ヴィヴァルディの四季を引っさげて、世界に演奏旅行をして、大ブレークをして、四季ブーム、から、バロックブームにつながっていったのです。
それでも、まだ、バロック音楽は色々と誤解される事が、色々とありました。Bachのヴァイオリンの為の無伴奏やチェロの為の無伴奏は、その演奏の難しさから、机上の音楽と言われたこともあります。
私が留学をしていたミュンヒェンの音楽大学のviolinの教授であるオットー・ウィンクラー先生は巨大鋏のお化けのような弓を作って、自由に和音と単音を弾き分けられるように弓を改良(?)する事によって、Bachの頭の中にある無伴奏の音を再現しました。そのレコード(CDじゃあないよ!!)の1枚は、私の秘蔵するコレクションの中にあります。とても美しい演奏なのですが、残りの2枚目のレコードは、あまりの演奏の難しさに、等々、発売される事はありませんでした。

1960年代から70年代にかけて、多くのバロックの音楽家達の作品が世に出ることになります。
70年代から80年代にかけては、バロックの古楽器がリペアされたり、復刻されたりして、楽器が身近にてに入るようになって、バロックの演奏のstyleや技法も段々と分かって来て、1990年頃になって、やっと本格的なバロックの演奏団体が世界に誕生しました。
教室の先生達に、バロックの奏法を指導して、バロックの演奏団体であるFiori musicali baroque ensembleを私が立ち上げたのも、1990年の同じ年です。

日本版で出版されているヴィヴァルディの楽譜も、世界の**であるリコルディ版も、底本は全く同じですが、完全に一度忘却の彼方で失われてしまった、楽譜を再び再生させる事は容易ではありません。
世界のリコルディと言えども、と言うか・・原典に忠実であるからこそ、「間違いを正す」・・・のは容易ではないのです。
ですから、このチェロ・コンチェルトのスコアーにも、他のヴィヴァルディの作品同様に、たくさんの間違いを見出すことが出来ます。(他のサイトにリンクしますので、注意してください。)

という事で、まだU楽章は弄っていませんが、T,V楽章は、芦塚versionとして、大幅に楽譜の訂正加筆をして演奏しています。


violaとorchestraの楽器の並び方のお話


本 田 梨 紗 Viola (高1) ヴィオラコンチェルト 二長調 T楽章 ・・・・・・・・ホフマイスター作曲
                指  揮  芦塚 陽二先生

Hoffmeisterは、HaydnやMozartBeethovenと同時代に生きた、ズブズブの古典派の作曲家であります。
Hoffmeisterは典型的な古典派の様式の作曲家で、その典雅な古典的なstyleの作風でも、知られています。
また彼がやった作曲とは別のもう一つの有名な仕事は、今日我々がお世話になっている、ペター版のペーター出版社を創設した人でもあります。
そういった音楽史的はお話はさておいて、今日はorchestraの並び方のお話をします。
このorchestraの並びを見て、何か違和感を持たれる方も多いのではないか?と思います。
通常の並び方と比べると、通常は左側から1stviolin、2ndviolin、viola、celloという並びが一番オーソドックスではないでしょうか?
というか、今日我々が何時も目にしていて、普通に当たり前に感じているorchestraの並び方は、非常に新しい並び方で、20世紀の初頭というか、寧ろ、戦前迄は、今回私達が並んでいるorchestraの並び方で配列されていました。

通常は、baroqueや古典派の音楽を専門に演奏しているので、今回は、その時代の並び方で、1st、cello!!、viola、2ndという並び方をしました。これは一般では、Haydn並びと称される並び方です。

ここで、敢えて、「今回は、」・・・といったのは、私達は、通常の発表会等の演奏では、ヴィヴァルディ並びと称して、私の考案した、私独自の並び方をしています。
それは、1st、viola、cello、2ndと、Haydn並びに対して、violaとcelloの位置が入れ替わっていて、寧ろ、ミュンヘン並び(1st、2nd、cello、viola)に近い並び方でもあります。
それぞれの並び方はそれぞれに一長一短がありますので、どれが良いとは言えません。曲にもよるし、会場の構造にもよるのです。
また、古典派の時代には、1stや、Kontrabassをあちこちに分散させて配置する方法も、Haydnの図面にはあります。Haydnは、その会場に合わせて、最も良く響くように、orchestraの並びを、その都度変えて、その配置図をスタッフにオーダーしました。その幾つかの図面は、今日もちゃんと残っていて私達もそれを見る事が出来ます。

つまり、今回のHoffmeisterのorchestraの並び方は、所謂、一般では、baroque並びとか、Haydn並びとか称される並び方ですが、本当の所は、Haydnの時代には未だ音楽専用のコンサート・ホールが一般的にはなかったので、今日のorchestraのように、確固とした並び方がある分けではなく、会場が変わるその都度に、会場の構造や状態の都合に合わせて、orchestraは自由にその配置を、変えていたのです。


詳しくは、「orchestraの並びについて」というページでも触れていますので、興味がある方は、一度、開いて見てください。
但し、このサイトではなく、ホームページ 「芦塚先生のお部屋」というサイトにリンクしているので、戻る手間暇は、各自お願いします。


ヴァイオリンのソロ


鈴 木 花 梨 Vl. (小5) モーツァルトのロンド ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クライスラー作曲
                伴奏    遠 藤 美 帆

あたかも、常動曲(perpetuum mobile 無休動)のように、軽やかに、leggieroのspiccatoで、めまぐるしく動き回る曲で、よく独立してアンコールにも演奏されます。
何故かは分かりませんが、不思議な事にこの曲の原曲は、何の曲から持って来たものか、という疑問に応えている資料は殆どありません。violinsonateやstringQuartettにも入っていないのです。
勿論、協奏曲の中にもありませんし、困ったものです。
実は、この曲の原曲はserenade No.7 D K.250 (Haffner)所謂、ハフナー・セレナーデの中のW楽章のrondoです。
原曲のserenadeは元々orchestraの曲で、Z楽章もある曲のなのですが数あるserenadeの中でも、このハフナー・セレナーデだけは、あたかも協奏曲のように、orchestraの中にソロのviolinが登場します。

困ったついでに、You Tubeで「Mozart serenade Op.25 rondo」と入力すると、何と、何と!??BeethovenのserenadeOp.25が出て来て、Mozartは消えてしまいます。
紛らわしいし、どちらかというと、Beethovenのserenadeの方が、メジャーなのかもしれませんよね。

Mozartにしては、OP.25と比較的に若い時に作曲された曲であるにも関わらず、音楽の作曲技術水準も楽曲の構成にしても、非常に優れた作曲法で、内容的にも、とても充実した良い曲なのですが、一般的には、orchestraの曲として聞かれる事は少なく、W楽章のrondoだけが、Piano伴奏にarrangeされて小品としてよく演奏されます。

この曲自体、leggiero奏法(spiccato)が正しく演奏出来る技術がないと、それ以外の奏法でお茶を濁していては、上手な演奏は出来ません。detache(デタッシェ引き止め)の奏法で、ごまかしてお茶を濁して演奏している人達も多いのですが、日本流の3点支持の弓の持ち方では、正しいleggiero奏法は演奏出来ないからです。
leggiero奏法自体は、violinのsoloの曲の場合には、lessonとしては、あまり曲の中に出て来る事は少ないようなのですが、それこそorchestraで演奏する場合には、殆どの曲に、常に出て来ますので、教室のオケ練習でも、生徒達に何年にも渡って指導をしているのですが、教室の1点支持のテクニックを使ったとしても、その技術習得はやはり難しいようです。

元々、Mozartの原曲のままでも、正しく、演奏するのは、超難しいrondoを、Kreisler先生は、擬古典の作風にして、もっと演奏効果のある超絶技巧の作品に改造しました。

斉藤先生が時々、対外出演で演奏している曲なのですが、今回は花梨ちゃんが挑戦しました。
ただでさえ、Mozartの曲は、その技術が難しいのにも関わらず、ちゃんと演奏出来るようになると、普通に簡単な曲を演奏しているようにしか見えないという、演奏家泣かせの曲なのです。大変が技術が、楽々と演奏出来るようになった時に、お客さんは、簡単な曲を普通に弾いているようにしか聞こえないし、それを難しそうに弾くと、「なんで、あんな簡単な曲を、そんなに難しそうに弾くの・・・・??」としか思われないのです。
だから、この曲をサラサラと演奏している場合には、それを「すっ!すっ!凄い!!」と、驚嘆するのは、ヴァイオリンが弾ける人達で、一般の人達には、あまりその難しさは、分からないかもしれませんね???
アハッ!

室内楽

遠 藤 美 帆 Pf. (中2) ピアノ三重奏曲 Op.8  ト短調 W楽章 ・・・・・・・・・・ショパン作曲
                Vl    . 本 田 梨 紗
                Vc.     牧 野 由起子先生

大作曲家といえども、人にはそれなりに得手不得手があります。
Chopinの場合には、ピアニストであり、Pianoの詩人と呼ばれるような、Pianoという楽器に対しての、思い入れのある作曲家なのですが、orchestraの楽器については、あまり良い評判は聞きません。
特に、有名な2曲のPianoconcertoは、orchestraのpartに問題があるという事で、ありとあらゆる指揮者や音楽学者の手によって編曲されました。しかし、演奏してみると、やはり、面白くない。何かが違うのですよ。という事で、今日では、Chopinのoriginalによっての演奏が殆どになってします。

そういった、ensembleという意味での問題点はあったとしても、それは兎も角として、考え方を変えて、弦楽器の伴奏(obbligato)付きのPianoのsoloの曲と思えば、このPianotrioは素晴らしい。
このW楽章は、民族的なMazurkaのようなrhythmで、とても技巧的な難しい曲です。
練習の回数等も、今回は極端に少なく、私としては、ちょっと不安だったのですが、まあまあ、なかなかのもんですかね??よくやるよ!!
ハイ!!   (^-^)/



originalbaroque

バロック楽器による演奏 トリオソナタ Op.2 No.4 ホ短調 全楽章 ・・・・・・・・・・・・・・・コレルリ作曲
                Vl.T    斉 藤 純 子先生
                Vl.U    本 田 梨 紗
                Vc.     牧 野 由起子先生
                Cemb.   遠 藤 美 帆   TU楽章
                Cemb.  岡 村 智 子   VW楽章

violinの音に限らないのですが、日本人の出す楽器の音とヨーロッパ人の出す音は音質的に根本的に違います。日本人の歌手が歌う声は、演歌か民謡の発声に近いものです。
それは一般的には国民性という事で片付けられて、問題視される事はありません。
日本人の演奏するPianoの音もキンキンした金属的な響きで、日本人はそういった音が遠くまで届く音だと勘違いをしています。  「日本人の持つ音の感性」
クラシックの音楽を聴く時に、私がネックになっているのは、日本人が出す弦楽器の音が何となく異質に思えて、「何故??」・・・「そりゃあ、違うだろうよ!!」と、何時も日本人の音楽家の出す音に対して、違和感を持っていたのですが、ある日、テレビから流れて来たモンゴルの馬頭琴の音を聴いて、その疑問が氷解しました。
なんと、日本人の演奏するviolinの音は、高音域の二胡の音にそっくりで、低いcelloの音は何と、馬頭琴の奏でる音だったのですよ。
二胡や馬頭琴は、音楽専用の演奏会場を持たない野外での演奏活動が大半であり、しかも、高温多湿の音が飛びにくい国によく合うように、作られているのです。
つまり、国民性という一言で片付けられている、音の違いは、アジアの諸国の高温多湿の国では、ヨーロッパのように、共鳴させ、響かせて、出した音は、響かないのですよ。
だから、日本の横笛のように、喉を絞めて、鋭い強い音を出すようにするのです。
歌舞伎の発声や浪花節の、喉を押しつぶしたような発声は、東南アジアの国では、音を遠くまで飛ばすのに、有効な方法だったのです。
日本では有効なその演奏法や、楽器の特性が、逆に、乾燥して、石で出来た国の音楽を演奏する上では、音の出し方の違いになってしまい、どうしてもネックになってしまうのです。

また、それだけでは、日本とヨーロッパの音の感性の違いで片付けられてしまったのでしょうが、事は最っと複雑に推移します。
そもそも、baroqueや古典派の時代の音楽は、極、限られた少人数の貴族階級の人々を対象にして演奏されました。
BeethovenやWeberの時代からは、劇場が沢山作られて、baroque時代や古典派の時代に作られた楽器では、音量的に対応が出来なくなってしまいました。

しかし、名器と言われている、ストラディバリ等の楽器は、その殆どがバロックの時代に作られています。
つまり、バロック楽器なのですよ。
それでは、Beethoven時代からのホールに対応出来ない!!・・・・という事で弓の改(??)、楽器の改良(??)等がなされて、弦に対して強い張力を持つように、ネックを長くしたり、今度はその張力でviolinの板が割れないように、力木で補修したりと、あらゆる改良(改悪)がなされてきました。
という事で、今日の弦楽器の音は、大ホールでも、良く鳴り響く音と引き換えに、美しいピュアーな響きや音色を失って、ハイフェッツやオイストラッフのロシア派のように、力で弓を押さえつけて演奏するstyle、所謂、3点支持の演奏法が、一般的になってしまいました。
一つを得る事は、一つを失う事でもあります。

そういったロシア派の力での演奏に対して、グルミヨーやシュバルベさんのように、ベルギー派に代表される、violin奏法では、本来のviolinの演奏のstyleを逸脱しない、節度のある演奏法を守って弾いています。
勿論、私達の教室も、音を大切にするベルギー派と同じ位置に立ちます。
私達がバロックを始めたのも、violinが制作された当時の演奏styleが、そのviolinの正しい演奏styleであると確信しているからであります。何故って??だって、BachもVivaldiもHaydnもMozart、Chopinですら、古い自然な音puresoundを好んだのですからね。
「でも、先生から「そう弾け!!」って言われたから・!?? 
でも、音楽の勉強は、学校教育のように「回答が合っていれば良い!」のでは決してありません。
何故、そうなるのか??
何故に、そうでなければならないのか??
それが証明されない限り正しい!という事はありません。
そこの所が、大切なのです。
それがなければ、音楽は「私の師匠がそう教えてくれたから・・・!」と、理屈にもならない、主義主張を徒らに繰り返す事になってしまいます。
そこに論理性や時代考証がないと、単なる自己満足の主義主張になってしまいます!!

その他にも、バロックの演奏法を勉強する事では、本当の和音の美しさpuresoundを学ぶ事が出来ます。
楽器を響かせる事の大切さを学びます。

同じバロックbowでも、教室で使用している、より古いタイプの短い方の弓では、3点支持で押さえつける事は絶対に出来ません。

もし、もしも3点支持で演奏したら、弓は一瞬で折れてしまいす。
上記の写真は上が同じバロックbowでも、一番古いタイプのもの、下は現代bowです。見るからに華奢なのが分かりますよね。



という事で、多くの「baroque音楽を演奏したい」と思っているヴァイオリニスト達は、もう少し時代の下った(一般的には)Tartiniーbowという弓を使います。
これなら、弓の長さも強度も現代のbowと変わりませんよね!!



それなら、間違えて3点支持をしてbaroque音楽を演奏したとしても、弓が折れる事は、(多分)ないと思います。・・・思います・・・というのは、私は弓が折れたとしても、責任は持たない・・という意味です。それで折れても、自己責任で・・・
教室の生徒達は、baroque時代と同じ、1点支持の持ち方なので、教室の初期baroqueの古い弓でも、今すぐに、なんの問題もなく、奏く事が出来ます。実際に、Corelli=Geminianiのla folia等でも、曲の途中で、弓をbaroque持ちに変えて、演奏していますし、purcell等でも、baroque持ちで演奏しています。
baroquebowで無いのは、私が生徒全員分のbaroquebowを、買うなんて無理難題は出来ないからです。
いづれにしても、baroquebowの持ち方が出来るという事は、それは、本当は凄い事なのですがね!!!???
それが、本当は大変な事なのだ、という事を知っていなければ、その凄さは分からないのですよね。
アハッ!

Pianosolo

森田春暉Pf.(高2)  プレリュード Op.28 No.4 ホ短調 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ショパン作曲

この曲は単に弾くだけなら、初心者でも弾ける簡単な曲です。
色々な演奏家達の演奏を聴くと、本当に上手下手が分かる曲でもあります。
舞台の上でお客さんを前にして、切々と訴えかける演奏をする事は容易な事ではありません。
結構、名前の売れたピアニストが、この曲でポニョ状態になってしまい、(プレッシャーに負けてしまい)破綻を来たすのを、よく演奏会で見てきました。
高校生ともなると、眈々と唄って行く事も出来るようになるのですよね。




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                        発表会ができるまで



                      発表会へのリハーサル

一般の音楽教室では、発表会のリハーサルは、やらない所もあるし、殆どの教室が発表会直前の一週間前ぐらいにリハーサルをします。
それは、リハーサルで上手に演奏出来たとしても、発表会本番では気が抜けてしまい、失敗するケースが多いので、なるべく直前にしたり、いっその事、リハーサル自体をなくして、子供達が発表会を目指して頑張れるようにするのが目的であるためです。

芦塚音楽研究所の教室の発表会のリハーサルは、未だ、長期の練習の癖が付いていない年少の生徒さんや、他所から変わってきた生徒さん達のリハーサルは、一般の音楽教室と同様に、1週間、或いは2週間前の、比較的発表会の直前にします。
それに対して、年中、年長クラスの生徒さんや、上級生組のリハーサルは、原則、一月前にリハーサルをします。

そのリハーサルから発表会迄のインターバルの違いは、幼い生徒さんや初心者では、長期間を掛けて曲を仕上げる事は難しいからです。
幼い生徒さん達や初心者の場合には、発表会の曲を渡すのが、1月前とかですが、上級生達は、発表会の会場で「ご褒美」として、次回の発表会の曲を貰います。
つまり、半年を掛けて練習をします。勿論、1年を掛けて練習する場合もあります。
それは全て生徒の練習のキャパシティで決まります。

先程もお話したように、リハーサルの意味がよく分かっていない、一般の音楽教室の場合には、リハーサルでとてもよく演奏出来た生徒が、発表会では、メロメロになって失敗してしまう・・・という事がよくあります。
勿論、それは子供を指導する先生が、リハーサルの意味をよく分かっていない、という指導力不足によるものです。
一般の音楽教室の場合には、単に発表会のシミュレーションとして、リハーサルをしますが、本来は、勿論、発表会のシミュレーションとして、「子供達が人の前で演奏する事に慣れる」という意味もありますが、それよりも、指導者側が、生徒が人の前で演奏する事によって、そのプレッシャーから、普段のレッスンでは見ることの出来ないミスが、どういう所にそういったミスが起こるか・・という事をチェックをするための、機会でもあります。

また、上級生の生徒達にとっては、発表会の会場で、「どの生徒をどう面倒を見るか」、という事を、ペーパー上の名前と実際の子供の顔を合わせて覚えていくという大切な、チャンスでもあります。
その他にも、一人一人の生徒が演奏する時間のチェックをして、発表会の進行が速やかに進むように、進行表を作成する、データを取る事もしています。
仮に、舞台の進行が15秒遅れたとすると、最後の人の演奏時間は30分遅れてしまう事になります。
それは、実際上、曲を割愛しないと、進行上、無理ですよね。

それに、発表会は上級生が自主性を持って、下級生の面倒を見たり、企画運営に参加する事は、行動出来る子供を育成する上で、とても大切な勉強になります。
発表会自体は、とても長いものですが、リハーサルはお子様の集中出来る範囲の時間で、リハーサルのグループを入れ替えしています。

始めて発表会に出演する生徒さん達の発表会でのマナーや動きの説明も、先生が生徒さんを前に、口だけで説明すると、子供達がプレッシャーを受けてしまいます。
発表会のお約束事をお母様達が人形劇で可愛い人形たちが劇のなかで分かりやすく説明します。
私達の教室では、発表会は上級生は一月前、初級でも2,3週間前に催います。それはリハーサルでの出来の修正をちゃんと出来るだけの期間を配慮しての日にちの設定なのです。

つまり、リハーサルは、その生徒がリハーサル会場に出かけて、演奏するだけの意味ではないのです。


人形劇のお話

また、年少のお子さん達を対象にして、発表会場でのマナーや、お友達の演奏を聴く意識付をお母様達による人形劇でします。
教室も最初の間は、他の音楽教室と同じように先生が発表会の諸注意を伝達をするという、一般と同じようなスタイルで、発表会の会場での注意事項等を指導をしていました。

先程もお話をしたように、発表会は自分が日頃の練習の成果を発表する・・という意味だけ場ではありません。
それならば、年に2回のローテーションも必要はないのです。一般の音楽教室と同様に、1年半くらいのインターバルで充分なのです。
私達の教室の場合には、発表会のコンセプトは、発表会を通じて、発表会自体を一つの社会と看做して、社会人としての能力を育成するという意味も含まれています。
教育というものは、先生や教室が幾ら優れていても、そこで成果を上げることは出来ません。
そこに親が教育に掛ける姿勢を見せる事で、子供達は安心して、伸びて行く事が出来るのです。
今日、なんでもコンビニの時代に、親が忙しい時間を割いて子供達のために活動する姿勢を見せる事が如何に大切なことであるかは、ここで敢えて言うまでもない事でしょう。
しかつめらしい発表会マナーのお勉強も、小さいお子様にとっては、楽しくお人形が説明してくれると、興味を持って聴いてくれます。
それよりもちょっと上の年齢の生徒さん達にとっては、お母様達が一生懸命に発表会の人形劇を演じている姿は、自分達にとって、とても勇気付になって、発表会を頑張ろう、という姿勢につながって行きます。
全く同じ様に見える人形劇なのですが、その時の生徒さん達に合わせて、微妙にストーリーや、セリフも変えています。
それで、生徒さんの中には、「前回の人形劇の中の、うさぎさんのセリフが**から++へ変わった」と、そこまで正確に覚えている生徒さんもいるのですよ。
発表会には、もう何回も出演している、ベテランの上級生の皆さん達は、人形劇には興味がないのかな?と言うと、そうでもないのですよ。
上級生も、みんな、興味津々でみてくれます。
しかし、上級生の場合には、今度は親に対してのチェックが結構、厳しくて、家に帰ると「お母さん、あそこと、ここがダメだった!」とダメ出しが出たりするそうで、お母さん達が戦々恐々としています。



客席でのマナーを、ぞうさんとくまさんと
うさぎさんが実演で説明。
にゃんこが補足説明してくれます。




しかしながら、楽しそうな客席側とは違って、人形劇の舞台裏はこんな様子。
お母様方が、頑張って、くださいますが、いやあ、兎に角、重労働ですね!!
ご苦労様です!!














一般の音楽教室では、発表会のリハーサルは、発表会の直前に「一回通して弾くだけ]という感じのリハーサルが普通だと思います。
また、外部の教室から私達の教室に変わって来られた生徒さんや保護者の人達の中には、教室の発表会のリハーサルに対しても、よその発表会のリハーサルと同じように考えて、リハーサルは「行って、一回弾くだけだから・・・!」と勘違いしている人達もよくいます。
私達の教室ではリハーサルも音楽教育の一貫として考えています。
だから、年齢の低い生徒さん達と、中級、上級生と、分かれて、それぞれのコンセプトでリハーサルをします。
初級の生徒達は、1時間リハーサル会場で集中出来るようにするのが、一番の目標です。

一般の音楽教室の発表会の会場に行くと、子供達がホールの中を走り回ったり、お友達の演奏中におしゃべりをしていたり、ひどい時にはホールの中でお菓子を食べたり、という光景を見たりします。
しかし、それは教室側が、演奏会のマナーを指導する気がない、・・・せいぜい、sdしたとしても、チラシ1枚を配るだけ、という事で、そういった舞台マナー、会場で聴くマナーを勉強する場所がないためなのです。
その為に子育て年次のお母様達は、お子様を誰か預かってくれる人が居ない限り、好きな演奏会に行く事すら出来ません。
今は、特別に、都響や日フィル等が子連れで演奏会に行けるように企画している、「親と子の演奏会」ですら、子連れで会場に行く事は、ついつい気が引けてしまいます。
注:八千代の一部は、そういったお子様連れが、聴きに来れるという市側の企画コンセプトで、2部は音楽を楽しみたい人達のために・・というコンセプトになっています。勿論、市側の企画ですがね。

そういった、就学年次前の生徒さん達が演奏会マナーを学ぶ場所としても、リハーサルは大切です。
本当の演奏会の会場でも、修学年次からは、殆どの会場が演奏会を聴きに行く事が可能です。
家庭で音楽を聴く環境があれば、子供達でも演奏会を集中して聴く事が出来ます。
教室の生徒さんで小学1年生の女の子が、イムジチの演奏会で最前列でヴィヴァルディのコンチェルトを聴いていて、ソロのおばさんに、「あそこの弓使いと、ここの弾き方は、??」と質問したそうです。そのソリストのおばさんは「まだ、勉強中なので、次までには出来るようにしとくね!」と言っていたそうです。
ヒェ〜〜!!
子供は容赦がない!!!怖!!

よく、人形劇の舞台の事で、質問される事があります。


実は、クリスマス会の人形劇をヒントに、人形劇で、飽きさせないように、発表会のマナーや、諸注意を人形にお話させたらいいな??と、手軽にしまえて、簡単に組み立たり、バラしたりと、機動性に富んでいる人形劇の舞台を作ってくれるように芦塚先生にお願いしたら、東急ハンズで木の棒を何本か買って来て、このような骨組みを作ってくださいました。

何年か経って、ネットでプロ仕様の本物の人形劇の舞台を調べて見たら、プロ仕様の舞台も、材料が、木製ではなくジュラルミン製なだけで、全く同ようじ仕様でした。
芦塚先生のその場での思いつきのアイディアなのだけど、プロ仕様も同じという事は笑えるね!!!しかも、とても高かったのですよ。
しかし、本当のヨーロッパの人形劇の舞台は大きな仏壇のような大掛かりな舞台で、とても運べるものではありません。




人形劇の練習は、動きがよく見えるように、骨組みの状態のままにします。
お母様達も、最初は、ぎこちなくても段々と慣れていくと、大きな声で人形の役に成りきれていきます。





本番さながら・・・??に、ピアノを弾いたうさぎちゃんに花束をプレゼンをしました。




リハーサル、とてもじょうずだったよ!!
発表会まで気を抜かないで、がんばって練習してにゃ??!




伴奏について

教室の発表会では、6歳の生徒の伴奏を2年生の上級生のお姉さんがしています。
小学生の低学年の1、2年生ぐらいで、年下のお友達の面倒を見る機会はなかなかないですよね??
思いやりの気持ちを育てる上でも、そういった縦の年齢の教育の必要性を訴えて、早い時期から、小学校等の先生達に指導をさせたりして、縦の教育を芦塚先生は、実践してきました。
芦塚先生が千葉に教室を作った時にも、思いやり教育の根幹のカリキュラムとしてオケ・室内楽の教育の指導の中に取り入れました。

時代が下って、少子化の時代になって、こういった教育の重要性はもっと増してきています。しかしながら、オケや室内楽の指導は、歳の違うたくさんの生徒達を同時に指導しなければならないし、それは先生にとっても、お姉さん役の子供にとっても、責任を負わなければならないという意味でも、大変なのです。
という事で、そういったカリキュラムを導入した当初は、教室では、いきなり小学校の低学年の生徒をオケ・室内楽のクラスに入れる前に、早期からですが、伴奏や二重奏などの二人で合わせるアンサンブルで集団活動の勉強が出来るようにして、無理なく集団の生活が出来るように配慮しているのも、また、芦塚メトードならではです。

今現在では、子供達自身がensembleに慣れてきているので、そういった一手間をする必要はありませんので、いきなりオケ・室内楽に入らせています。
「縦社会の教育のためのensemble教育」とは、なかなか聞こえが良いので、「それは良い事を聞いた!」と、他所の教室の先生が、さっそく真似をして、上級生に下級生の面倒を見させるように伴奏を子供達にさせたり子供同士の室内楽を企画したのですが、結果は、惨憺たるものだったそうです。
今日では、コンビニ時代ですから、形だけを取り入れれば良しとする風潮があります。
だから、「子供達は何でも子供達同士でやる事が好きだから、それが出来る環境を与えさせすれば良いのよ!!」と、教室の発表会を見て早速、自分達の教室の発表会に取り入れて発表会を企画したそうです。
その結果は、先程もお話したように、惨憺たる結果になって、子供達は「ensembleなんか、二度とやりたくない!」と言って、怒っていたそうです。
子供達は、子供達同士で、何かをする事が好き・・・という所までは、当たっているのですが、そこでensembleやオーケストラ、室内楽を教育をするためには、しっかりとしたメトードが必要なのですよ。
それがなければ、カリキュラムとしてのensemble教育は出来ないのです。
教室の真似をして、ensemble教育を取り入れたければ、教室でensembleをしている形態ではなく、教室のensemble教育のカリキュラムの部分を盗まないと真似をする事は出来ないのですよね!!




参考までに(芦塚先生のお部屋にlinkします。)

アンサンブルについて

伴奏について(論文)

日本のアンサンブル教育について(論文)


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そして発表会本番

初めての発表会。4歳。舞台に出てくるだけで感激してしまう、かわいいおとしごろですね。
初めてでも、小さくても、ちゃんとおじぎして、ちゃんと演奏できます。
初めての連弾です。
今回は牧野先生と一緒です。



伴奏はチェロのお姉さんが弾いてくれました。


baroqueの演奏の勉強は、orchestraや室内楽等では、Cembaloが必ず、使用されますので、Cembalo担当の智子ちゃんと美帆ちゃんは何回か前の発表会に向けての練習から、Cembaloのbaroque奏法の勉強を始めています。

今回は、violinの梨紗ちゃんもbaroqueviolinに初挑戦しました。
梨紗ちゃんのbaroqueviolinは、芦塚先生所有のbaroqueviolinのレンタルではなく、梨紗ちゃん自身のbaroqueviolinです。
教室のカリキュラムも一貫として、baroque奏法を学んで行く事になりました。

少しずつ、音楽のルーツに触れる事が出来るようにensembleの装飾音(ornament)や即興を入れる事も、芦塚先生からのadviceは段々少なくなって、自分で入れなければならない事も増えて来ました。
「そこにornamentを入れて!!」「そこは16beatで刻んで・・!!とか、指導もより、細かく、専門的になっていきます。
芦塚先生の指導に、ついていくのは、学校の教科書のように、そういった教材や資料がある分けではないので、全部口伝のようになって、自由裁量の部分も増えていきます。
baroque音楽は、譜面は簡単なので、弾くこと自体は、難しくないのですが、本当に、baroqueとして演奏するとなると、楽譜に書かれていない部分を演奏しなければならないという事で、その分、演奏は難しくなるのよね。




ヴィヴァルディのチェロコンチェルトを、先輩のお姉さんに難しい2楽章を担当して貰って、八千代のコンサートの時のように、全楽章に挑戦しました。

新しいお友達にも聴いて貰えるように、第1部で演奏しました。

ヴィヴァルディのチェロ・コンチェルトは、教育用に書かれているのではなく、プロを対象にして作曲されていて、ハイポジションが出て来たり、大変に早いpassageがあったり、特に2楽章は、切々と(凄凄切切と・・・四字熟語)演奏しなければならないので、大変に演奏するのは難しい曲なのです。今回も2楽章は、千聖お姉さんが演奏してくれました。
この年齢で弦楽オケをバックにVivaldiのチェロコンチェルトを演奏出来るという事は、かなりすごいことです!




小学生の弦楽オーケストラやフルオーケストラは、現実的には、小学校でもある所は珍しくありません。
ただ、室内楽に関しては、子供の本格的な室内楽を出来る場所はありません。
小学校や民間のオーケストラも、単発でオーケストラの曲を1年がかりで勉強するだけで、それを指導の教材とするカリキュラムがあるわけではありません。
ましてや、室内楽は、音楽大学の学生ですら、それぞれの楽器のトップの生徒だけに与えられる栄誉なのです。
つまり、室内楽の授業を受けられる生徒は、それぞれ2グループぐらいしかいないのです。
仮に弦楽器の生徒であったとしても、殆どの生徒は音楽大学でオーケストラに参加したり、室内楽の勉強を経験する事はないままに音楽大学を卒業してしまいます。

そのように、経験する事自体が難しいオーケストラや室内楽を、子供の内から体験し、勉強出来る事は、世界中を見ても、私達の教室だけなのです。
それを可能にしているのは、芦塚先生の膨大な楽譜と、弦楽器に対しての深い知識によります。
音楽大学のように、音楽図書館を持っていて、その資料が膨大なものだとしても、その楽譜の中から、カリキュラムを組み立てる事が出来なければ、それは無用の長物にしかなりません。

芦塚先生は、「子供にも本物の音楽を」というモット‐から、演奏する楽器にも、私財を投じています。
教室でピアノを専攻する生徒達が弾いている、10分の1と2分の1のコントラバスは、芦塚先生が特別にオーダーしてコントラバスの楽器製作者に作らせた楽器で、市販されているものではありません。(10分の1のコントラバスは、譲って欲しいとよく電話があります。教室のコントラバスをお譲りする分けにはいきませんので、芦塚先生はコントラバスを制作してくれた製作者を紹介していますがね。)


バロック時代のアンサンブルの曲には、ピアノではなくって、本物のチェンバロを使います。
子供のころからチェンバロを弾ける?!!これもまた芦塚音楽研究所ならではですよ。




伴奏は、基本的には歳の近いお姉さんにさせます。(年下の妹ではなくって・・・という意味です。もっとも、年上の妹はいないようですが。)
それは、習い始めの初心者の場合には、発表会当日、何が起こるか分からないハプニングに対応出来ないといけないからです。
教室の伴奏をする生徒さん達が、演奏している子供が自分のmelodieを忘れた時に、すかさず、伴奏をしたままで、右手でmelodieを演奏して、子供が思い出したら、パッと元の伴奏に戻る・・・という事を見る事がありますが、これも教室の常識ですが、一般の伴奏者で出来る人は殆どいないのですよ。
オーケストラでもsoloの生徒が忘れたら、オケ・バックのコンマスがすかさず代わりにヴァイオリンパートのmelodieを演奏しますが、soloのpartを完全に覚えていつでも演奏出来る状態にしておく、という事も教室だけの常識なのです。
但し、ピアノの伴奏を演奏しているのは、必ずしもピアノ専科の生徒ではなく、先程のチェロの生徒を伴奏しているお姉さんのように、同じ楽器を習っているお姉さんが伴奏する事もよくあります。
後は、レッスン時間(合わせる時間)の都合で、誰が伴奏をするかを決めますが、男の子の場合には、伴奏者を、お姉さんではなくて、お兄さんを優先させる場合があります。
男の子は、基本的にお兄さんの伴奏の方が好きなので・・・・。
右の写真は今回の発表会の写真ではありませんが、今回は碧人君も春暉お兄さんも、ちょうど受験年次で、晟嗣君の合わせの時間に、来ることが出来ませんでした。お兄さん達は、ピアノもヴァイオリンも同じぐらいに上手なので、伴奏をしながら、つまづいたらアドバイスもしてくれるので、次回の発表会の伴奏には是非に・・・・ね??





専科オケは、発表会以外にも、外での演奏活動もしてい専科のオーケストラは発表会の他にも、対外出演のコンサートにも参加します。
そのため、この発表会のレパートリーの他にも、つまり、このモーツァルトのピアノコンチェルト以外にも、約20曲以上の曲を普段のオケ練習で、同時に練習して行きます。
という事で、教室の発表会では、一人の生徒の演奏時間は大変な時間になります。
一般の発表会のように、全体合奏と自分のsoloが終わったら、終わりというケースでは、舞台上に居る時間は、多い人達でも、5分位です。(発表会全体の長さが、どんなにロングランであったとしても、一人の演奏時間の5分という時間は変わらないのです。
教室の生徒さん達で、キャパシティの付いて来た生徒さん達出場回数は20曲以上になる場合も、当たり前なので、一回での発表会の出場時間は、通常では、1時間半ほどにもなります。
一人で演奏会を開く時の通常の演奏時間は、2時間から2時間15分ぐらいになります。
その時間を演奏し続けられるか否かが、プロとして演奏出来るキャパシティが持てるか否かの分かれ目になるのです。
子供の内から、常に、その時間を演奏出来るのならば、・・・・という意味が、この生徒の演奏時間のキャパシティには含まれています。



今回は小学3,4,5年生のピアノ三重奏です。
曲はKlengelのキンダートリオという曲です。
Klengelという人は、作曲家としては、あまり知られていませんが、教室では、子供の教育教材として、たくさんの作品を使っています。
非常に珍しい、子供を対象にして作曲されたピアノトリオで、芦塚先生に子供の為のピアノ三重奏曲集を作曲するアイディアの元になった曲です。
それまでは、古典派のスタイルによる子供の歌変奏曲とか、ピアノやヴァイオリンのソロの曲は、沢山書いていたのですが、子供の室内楽は、流石に思いつきませんでした。それまでに出版されていた、子供のためのensembleの教材は、惨憺たるもので、とても参考に出来るものはなかったし、ましてや、本格的な室内楽の曲なんて、その存在すらなかったのですからね。
どういう分けか、世界で歴史的に唯一、Klengel先生だけが、子供のためのピアノトリオを作曲していたのですよ。作品自体も産まれる時代が違って、Beethovenの時代に産まれていたら、超一流の作曲家としても認められたでしょうがね???
いずれにしても、教育教材としては、音楽性も作曲の密度も、とても素晴らしい作品です。
Klengelのお弟子さんには、チェロの神様と呼ばれた、フォイヤーマンとかピアティゴルスキー等の名チェリスト達がいます。







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                              反省会と打ち上げ



前回の発表会の反省点を皆で発表して、 次回の発表会に生かして行きます。

会議で発表された反省点をを各自、メモをしながら、次回の発表会の進行表を作ります。
発表会10日前の進行表によるスタッフの動きのcheckの風景です。


私が音楽教室を作って、子供達の教育を始めた時に、一番子供達に身に付けさせたかった技術は企画力です。
演奏会そのものも企画は、プロデュースをする、音楽の会社がします。
そこから企画運営をするのが、プロデューサーの役目です。
しかし、プロデューサーは演奏そのものの企画には参加しません。
メンバーを決めたり、コンサート会場での運営企画や、指揮者のお世話や楽譜の管理等々は、インスペクターの作業です。
プロデュースは基本的に個人でやる事は少ないので、これはプロになりたい人だけが勉強すればよいのです。

しかし、このインスペクターの仕事は、一般の学校にとっても、会社にとっても大変に役立つ技術なのです。
という事で、私は子供達を指導する進行表のサンプルとして、放送局とオーケストラに目をつけました。
私の従姉妹がNHKの管財部で結構上の仕事をしていると、NHKのヨーロッパでの、音楽の旅で、トップの人のお世話をした事があったので、門外不出の進行表ですが、結構簡単に見せて貰えました。
しかし、これがな、な、なんと!!、電話帳よりも分厚くて、それぞれの部署(大道具の材料の搬入から組立、衣装の生地の買い付けから着付けに至るまでの過程、カット毎の俳優の練習から、ステリハ迄の練習の経緯等々々!!)それぞれの部署の進行が何段にも渡って分かれて独立して書かれていて、それが1日の秒単位で絡み合ってくるのですよ。
これは、とても人間技ではない・・・・参考にも、何にもならないのですよね。




という事で、次には、日フィルや新日フィルのオケのインスペクターを尋ねたねね!!

そしたら、インぺクのみなさんの言う事には、「芦塚さんの言う事は何でも聞くけれど、進行表だけは、勘弁して!」「これ、オープンすると、明日から飯食っていけないから!」と懇願されてしまいました。

別のプロ・オケのインぺクに至っては、ポケットに無造作に入れていたヨロヨロの紙切れを見せて「僕はこれだけのメモしか、持っていないよ。」「だって、進行表を誰かに見られたら、盗まれてしまうでしょう!!」「だから、進行表を紙に書く事は絶対にしないのよね!!」という答えでした。

後も、大体同じで、天下のNHKを除いては、進行表を見せてくれる事はおろか、それ以前に、進行表を作る事すら、秘密保護の観点から誰もしていないし、だから定形の書式のようなものがある分けではなく、皆それぞれのインぺクの人が自分の進行表を(しかも、頭の中だけで)作っているのが、現状であるという事が分かりました。





「それならば、子供達にも、判読出来て、自分達でも書けるような簡単で分かり易い進行表の書式を作ろう!」と思い立って、教室独自の進行表の書式を作成していきました。

自分では、単に「子供達に進行企画の全体像を教えたい!」という、気持ちで、何も大仰な事は考えないでやったのですが、結果的に、これは、大変な画期的なソフトで、浦安市の文化会館等は、私達の発表会の進行表を使って、新人のホールスタッフの教育をしていた程です。
そういった、進行企画のサンプルが全くなかったからです。
教室の発表会が12時間近くになるにも関わらず、終わりの時間や出演時間が秒単位で進むのは、進行表のおかげなのです。






行表の作成の勉強をして来た、日本女子大の講師の先生は、幼稚園から、小、中学校、高校大学の全高の総合文化祭の総括責任者を一人で任されてしまいました。

教室から高校の先生になった男の子ですが、学校に就職した2ヶ月後には、学校の体育祭や文化祭を一人で任されていました。
また、教室の先生達が、まだ高校生の頃でしたが、西武の企画部から、「高校を中退して、即、企画部に就職しないか?」「これだけの進行表が書けるのなら、即、戦力になるので!!」とのお誘いがありました。
当時は、日フィルからのお誘いもあったしね。にべもなく断っていましたがね。
将来、一般大学に進学して、一般の会社に就職するのなら、進行表と芦塚先生のパソコン教室だけはマスターしておくと、便利ですよ!!
一日がかりの発表会が、1,2分の遅れもなく、進行していくのは、こういった事前の打ち合わせやcheckでスタッフの上級生が発表会の進行をちゃんと把握しているからなのです。
進行表を書けるのなら、勿論、記憶する事も出来ます。という事は、一々、先生や上級生が指導しなくても、自主的に動けるのですよ。
発表会でも、一般の会社と同じように、細かく部署に分けています。それぞれの部署に、進行表を作成した生徒が一人いれば、後の生徒達はそのリーダーが指導していけばよのです。
細かい場所迄、目が届くので、落としは殆どなくなります。
勿論、子供達の事ですから、ポニョミスやポロミスは、出て来ます。
大切な事は、客観的に自分のミスを、自覚する事と、どうすれば同じミスをしなくなるのかを、判断分析して、方法論を自覚する事であります。
そのために、反省会はとても大切な事になります。
しかし、反省会が一般の反省会のように、お互いのあら探しにならないように、マイナーな所にだけ目が行かないようにするために、「良かった点、悪かった点」と、二つを発表させています。
それに、悪かった点には、それを改善するためには、どうすれば良いと思うのか、というもう一つを、発表させるようにしています。
子供の成長のためには、ここら辺は細心の注意が必要です。
子供達の反省会は、小さな小学4年生から、積極的で観察力、洞察力、判断力とも、とても素晴らしいです。私としては、そういうYou Tubeの中に、そういったサイトがあるのならば、是非upしたい所なのですがね。





牧野先生の手作りの唐揚げ、毎回大好評です。 食べている写真ばかりなのだけど、ちゃんと反省会はしましたよ。 写真を撮っていなかったのですよ!


以前、元々は、保護者の方たちの打ち上げは、大人だけ別の日を作って、やっていましたが、何年か前から、子供達の食事の準備をお手伝いして貰いながら、反省点も保護者の立場から発表して貰う事にしました。


発表会でスタッフとしてお手伝い頂いたお母様お父様の打ち上げです。

もちろん、子供スタッフの反省会と打ち上げもあります。

発表会でスタッフとしてお手伝い頂いたお父様お母様の打ち上げです。 感謝!感謝!

先ずは、ワインで乾杯!!
いやあ、お疲れ様でした!!
(車の方はワイングラスの中におお〜い!お茶をそそいで!!)

お茶は、色的には、白ワインと同じ色なので、昔、私が、コンパを逃げるためによくやった手です。



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 芦塚音楽研究所 千葉花園・検見川教室 秋のコンサート 2013年10月20日(日) 千葉市文化センターアートホール
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発表会プログラムの抜粋

発表会が出来るまで

そして発表会本番

反省会と打ち上げ

発表会プログラムの抜粋